https://twitter.com/suzu_ma_ma/status/1599051250724900864?s=20&t=95Z1BDToVFwv1ORcjTiU1A
先日ある人の作品に触れたことで
と、「自分の本質」みたいなものを
改めて見つめ直す機会をもらった。
やはり「誰かのコンテンツに触れる」のは大事だな。
で、その作品を読了したあと
たまたまTwitterの画面を見たわけだが
強くそう思った。
(ゆえの冒頭のあのツイート。笑)
思い返せば昔から「作品」が好きだった。
美術館に行って芸術作品を見るのも好きだが
映画や音楽、小説、漫画など、
「誰かがつくったもの」に触れることに
ひときわ幸せを感じていた。
映画や漫画など、
感情移入できるストーリーがあれば涙も流す。
(年を重ねるにつれ涙もろくなっているがゆえに最近すぐ泣くのはナイショ)
なかでも映画や漫画は本当に泣ける。
でもそれが幸せで。
ブワっと胸が熱くなる。
意思とは無関係に出てくる涙。
これっていわば「感動」と呼ばれるんだろうけど
「感動」を体感するのって
私にとっては幸せだ。
この記事で何が言いたいかというと
私はこれまでの発信で
「ありがとうが連鎖するセカイ」を目指し
いろんなノウハウやテクニック
考え方なんかを発信してきた。
で、実際
といった、
嬉しいお言葉をたくさんいただいてきた。
「ありがとう」と言われるのは好きだし
(嫌いな人はいないかw)
「ありがとう」と言われることに
とてもやりがいは感じていた。素直に嬉しいしね。
でも内心、こうも思っていた。
コンテンツをお渡しして「ありがとう」は普通。
でも「感動しました」って
なかなかもらえないコトバなんじゃないか。
じゃあ「感動しました」ってコトバは
どうしたらもらえると思う?
「作品」に触れたときなんじゃないかと。
そう思うのです。
私は「ありがとう」と言われたくて
コンテンツを作ってたんじゃない。
「感動しました」
「すずさんの文章が好きです」
こう言われたときのほうが
圧倒的に嬉しい。心臓が高鳴る。
(前者は言われたことないかもしれんけど)
そう言われたくて
きっとコンテンツを作り続け
発信を続けてきたのでは?
このコトバって
「ありがとう」を上回る嬉しさがあるよね。
(と私は思ってるんですが)
だったら。
せっかくネットに存在して
発信をしていくのなら
「好きです」ってコトバをもらえたほうが
私は幸せなんじゃね?
と、改めて気づきました。(おっそ)
そのために
そう思いました。
もちろんノウハウやテクニックは前提になってくるけど
「作品」のチカラって
コンテンツとしてもめっちゃ強いわけで。
「作品」って、コンテンツとしてのパワーが強すぎる。
私も「教材」とかより「作品」のほうが好きだ。
正直ずっとモヤモヤしていた。
ハッキリ言うけど
「教材」なんてあんまり作りたくない。(?)
ギラギラした発信もしたくないし
アタマよさそうに見せる
いかにもな”意識高い系”の発信がしたいわけでもない。
ずっと自然体でいたい。
(でないと自分が壊れちゃうので)
必要なスキルを伝えるときには致し方ないけど
それでも「学ぶ」ってこと自体
私のコンテンツを見てくれる人には
楽しんでもらいたいと思っている。
そうなったとき、
やっぱり「教材」ではなく
「作品」じゃないといけないと思った。
し、
私も「作品」作りたいな
私も「作品を作れる人」でいたいな
って思った。
てなわけで、もういっこ殻を破って
今後はさらに
すずらしく、コンテンツ出していこうと思います。
目的は変わらないけど、
ちょっと手段を変えてみます。
より、私らしくあるために。
(読む人は知ったこっちゃない完全なわがままw)
12月半ばに「ライティング基礎」のコンテンツを
無料で出そうと思ってますが
これはいわば「スキル系」にあたるので
どうしても教材っぽくなってしまうかも。
これから書いていくであろう
noteや電子書籍、
リリースするであろう有料コンテンツなど
今後の動向を注目していただけたら嬉しいです。
私は私のことを好きな人にしか
見てもらえなくていいと思ってるので
そのあたりの判断はおまかせします。
てな感じで
4週間ぶりに書いたnoteですが
感情に任せて手を動かしてみました。
やっぱこっちのが楽しいわ。
さて、作品作るか。
じゃ、また。
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